#歴史#こころ

ユグノーたちの「集合的記憶」から
アイデンティティの変遷をたどる。

塚本 栄美子佛教大学 歴史学部准教授

Introduction

17世紀後半にフランスからドイツに渡ったユグノーたちは、異郷で生き残るために自らのアイデンティティを変化させていった。塚本栄美子准教授は、彼らが記した歴史書をひも解き、「集合的記憶」という観点からその変遷を解き明かした。

01

ベルリンに亡命し、
「フランス人」になる

17世紀後半、フランスではカトリックを重視したルイ14世の下で、改革派のカルヴァン派は公然と迫害を受けた。1685年、信仰の自由を保障したナント王令が廃止されると、改革派の多くは故国を去り、ヨーロッパ各地に離散した。一般に「ユグノー」という言葉で知られる人々で、その数は、20万人ともいわれる。

現在のドイツ・ベルリン周辺に位置する ブランデンブルク選帝侯領にも、1万5千から2万人が移住した。彼らはその後、異郷の地でどのように自らのアイデンティティをつくり上げていったのか。塚本栄美子准教授は、ベルリンに逃れた信仰難民や彼らの子孫が「自分たちの記憶」としているものに着目。彼らが書き残した歴史書をひも解き、「集合的記憶」という新しい観点から、信仰難民たちのアイデンティティの変遷を解き明かしている。

塚本准教授によると、ブランデンブルク選帝侯領にたどり着いた最初の入植者たち「離散第一世代」は、「慈悲深い選帝侯の保護にすがるかわいそうな信仰難民」と、自らを位置づけていたという。塚本准教授は、入植者の一人シャルル・アンシヨンが書き残した歴史書を丁寧に読み解き、その中に、招いてくれた選帝侯への感謝や当地での優遇生活の記述をいくつも見出している。

信仰難民を招いた選帝侯側にも、もちろん思惑があった。「当時のブランデンブルク選帝侯領では、改革派の選帝侯に対し、領民の大半がルター派という宗派分裂 の状況が続いていました。その中で選帝侯側には、信仰上の『同胞』として改革派の人々を招き、宗教的な優位 を確保しようとする狙いがあったわけです」と言う。そのため1685年に「ポツダム勅令」を発布し、課税や居住について経済的な優遇措置を用意し、信仰難民たちの移住を後押しした。とりわけ塚本准教授が注目するのが、故国では少数派であり、周縁化された存在だった改革派の人々を選帝侯側が「フランス人」として強く意識していた点である。例えば、教会生活について、フランス系改革派教会は、「フランスで行っていた通りのやり方で、フランス語で礼拝を行うこと」が認められたほか、独自の司法機関を設置し、フランス人同士の争いごとについては自分たちで処理することも認められたという。

「つまり改革派の人々は、自分たちが『フランス人』である限りにおいて、数々の特権を保障されました。そのためいわば戦略的に『フランス人』として自己を演出したのではないかと考えられます」と言う。

フランス教会(左)の壁に飾られた受け入れに感謝する記念プレート(右)。中央はカルヴァン。
02

「優れたフランス人」としての
アイデンティティを創出

「離散第一世代」が入植してからおよそ100年後、第二、第三世代になると、彼らの認識は「かわいそうな信仰難民」からフランス文化の「代弁者」へと変わっていくという。亡命が長期化して、もはや故国への帰郷がかなわないことを自覚する中で、ドイツ人として同化する道もあるが、そうすると「フランス人」としてこれまで与えられてきた特権を享受できなくなる。そのため「フランス人」としての存在意義を示すことが重要になった彼らがとった手立てが、「優れたフランス人である」「ホスト社会の発展に貢献している」というアイデンティティを創出することだったという。塚本准教授によると、1785年のポツダム勅令発布100周年記念に作られた書物には、ホスト国への感謝や忠誠の言葉とともに、フランスから優れた文化や技術を持ち込み、ドイツに貢献したという記述が繰り返し登場する。こうして故国では大半が周縁化された存在だったにもかかわらず、ドイツではその子孫たちによって「優れたフランス人」としてのアイデンティティが固定化されていったのだった。

ベルリン大聖堂
03

ナポレオンの登場により、
「ユグノー」としての自己認識が
芽生えた

それからさらに時を経た19世紀初頭、ナポレオンの登場によって、ベルリンのフランス系改革派信仰難民の子孫たちは、アイデンティティの揺らぎに直面する。1806年、ナポレオンがベルリンを占領。ドイツにとってフランスは、一転して侵略の脅威となる。これによりベルリン在住の信仰難民の子孫たちは、自分たちに向けられるドイツ人からの反フランス感情に対抗しなければならなくなった。「そこで彼らが同時代のフランス人とは異なることが強く打ち出され、初めて『ユグノーである』という自己認識が芽生えることになります」と塚本准教授。

旧来ユグノーたちは、史料上「フランス系改革派」と自らを表現しており、この時まで自称としての「ユグノー」は定着していなかった。「1885年のポツダム勅令発布200周年記念の場や出版物の中で、信仰難民の子孫たちは、自分たちのことを『ユグノー』と表現しています」と言うように、この頃から「ユグノー」が、自己名称として固定化されていったことが見て取れる。「彼らはプロイセン(ドイツ)側が用意したプロットも利用し、『ユグノーであること』と『もっとも良きドイツ人であること』を両立させて、集合的記憶を焼き直すことで、ドイツで生き残る道を見出したのです」。「ユグノー」としての自己認識。これが、ナポレオンの台頭によって大きく揺らいだアイデンティティの一つの終着点となったと、塚本准教授は述べている。

移民たちは、異郷で生き残りをかけて意識的に自らのアイデンティティを変化させてきた。塚本准教授の研究は、その軌跡を鮮明に描いて見せた。

2025年5月更新

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塚本 栄美子/ 佛教大学 歴史学部准教授

TSUKAMOTO Emiko

[職歴]

  • 1996年4月~1998年3月 大阪大学・文学部・助手
  • 1998年4月~2010年3月 岐阜聖徳学園大学・教育学部・准教授他歴任
  • 2010年4月~現在に至る 佛教大学・歴史学部・准教授
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