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後白河院の誕生パーティーの記録
『安元御賀記』伝本に見る
大幅改変の秘密を探る。
浜畑 圭吾佛教大学 文学部准教授
Introduction
平安時代末期、後白河法皇の50歳の賀宴を記録した『安元御賀記』。これには、定家本系統と群書類従本系統の二系統があり、中でも群書類従本には、現実にはない増補や改変が加えられている。浜畑圭吾准教授は、類従本を読み解き、その意図を分析した。
後白河院の長寿を祝う宴の記録
『安元御賀記』の伝本を比較分析
安元二(1176)年三月四日から六日まで、後白河法皇の50歳を祝う宴が高倉天皇によって催された。管弦や舞楽などが披露され、三日間にわたって華やかな賀宴が繰り広げられたという。
平清盛の娘婿である藤原隆房も参加者の一人で、その盛況ぶりを記録した『安元御賀記(あんげんおんがき)』を著した。「『安元御賀記』は、和文で書かれたものです。記録としての性格もありますが、文飾が凝らされた文学作品となっています。成立後、さらに肉付けされた伝本が誕生し、現代にも残っています」と浜畑圭吾准教授は解説する。
浜畑准教授によると、伝本には、藤原定家が写したとされる定家本と、さらにその後に作られた群書類従本の二系統がある。「注目は、定家本が隆房の原本に近い内容が記されているのに対し、群書類従本は、数々の加筆や改変がなされていることです」と言う。浜畑准教授は、現存が確認されている(2024年時点)18本の定家本系『安元御賀記』の伝本のうち、17本を翻刻し、詳細に比較検討して、系統分類や相違点の分析を行ってきた。
「群書類従本は、平家の全盛を印象づけるような脚色や創作が加えられているのが特徴です。研究者によって見解が分かれますが、私はこれらの類従本は、隆房が亡くなった後に、平家の時代や文化に関心のある人によって改作・増補されたのだろうと考えています」。それを確かめるため、類従本の増補内容をつぶさに検討し、その意図を明らかにしようと試みた。
平家の嫡流を持ち上げるような
脚色・改変が施された群書類従本
まず浜畑准教授が指摘したのが、類従本では、定家本に比べて登場人物が大幅に増加していることだ。類従本で増補された人物の登場回数を調べると、とりわけ平重盛、藤原実宗、平重衡、平資盛、平維盛、平知盛といった平家やそのゆかりの人物の増補が著しいことが見て取れる。
しかも単に登場回数が多いだけではなく、人物に関する虚飾も多く見られるという。例えば三月六日、高倉天皇らが船上で行われた楽に調子を合わせるという主旨の記述がある。「定家本には、『高倉天皇に右大臣藤原兼実と中納言藤原兼雅がついている』という記載がありますが、類従本には、兼実の後に『右大将重盛』が加えられ、実際にはその場にいなかった重盛がいたことになっています。さらに重盛が、高倉天皇と一緒に楽で笙を演奏したとまで増補されています。これは、平清盛の嫡男である重盛に、平家の棟梁にふさわしい活躍の場を与え、重盛を格上げする意図があったのではないか」と浜畑准教授は考察している。
興味深い増補部分は他にもある。三月四日に平重盛の嫡男・維盛が、すばらしい「落尊入綾」を舞い、その後、父・重盛が褒美の禄を賜ったという記述だ。定家本には、「落尊入綾」が舞われ、「見るものみな目をおとろかす」と書かれているものの、誰が舞ったかは明記されていない。だがこれまでの研究で、この人物が源雅行であったことはわかっている。それを類従本では、「維盛が舞った」としたわけだ。「ところがここに、大きな矛盾が生じてしまいました」と浜畑准教授。維盛が舞ったとされた「落尊」は、本来幼い子どもが舞う童舞だというのだ。実際、源雅行は当時9歳。それを18歳の維盛が舞ったというのは、いかにもおかしい。「類従本では、そうした史実に頓着せず、維盛を持ち上げるために創作したのでしょう」
同様の問題は、父・重盛が褒美を賜ったという記述にも見られる。「舞の後に、重盛が禄の衣を賜り、右の肩に懸けたと記されていますが、この場合、故実によれば『右の肩』に懸けることはあり得ません。ここでも故実には気を遣わずに加筆したことがうかがえます」
浜畑准教授が着目するのは、維盛だけでなく、維盛を後見する重盛と合わせて増補されている点だ。「これらの増補には、『重盛-維盛』とつながる〈平家の嫡流〉を強調する狙いがあったと考えられます」と指摘する。
それを裏づける増補部分があるという。三月六日に維盛が「青海波」を舞う場面だ。類従本には、維盛の舞を重盛が見たという脚色とともに、その称賛ぶりが記されており、「父大将、事忌もし給わず、おしのこひ給」として、「感動のあまり、抑えきれない感情が溢れ、涙を流してしまった」と、重盛の反応が過剰に増補されている。実はこの出典は、『源氏物語』にあると、浜畑准教授。「『源氏物語』に、光源氏の青海波の舞があまりにすばらしく、父である桐壺帝が涙を流したという記述があります。類従本の記述は、重盛を桐壺帝に、維盛を光源氏に見立てた表現と考えられます」
さらに類従本には、平家ゆかりの人々が次々と登場するとともに、実際には参加していない平清盛が登場する場面も加えられている。「これらの増補によって類従本が目指したのは、清盛から重盛、そして維盛へと続く〈あるべき嫡流〉を強調した『平家の物語』を描くことでした」と浜畑准教授は分析した。
新たな『安元御賀記』の伝本を発見
2025年、浜畑准教授は、すでに確認されている18本の伝本に次ぐ、19本目の『安元御賀記』の伝本を発見・入手した。書写年や書写者も記されている、史料として極めて貴重なものだという。今後、この新たな伝本についても翻刻・分析を行っていく。
「類従本が作られた時代、平家文化は、どのように人々に受けとめられていたのかにも関心を持っています。今後は『平家公達草紙』など、平家にまつわる他の書物とも比較していきたい」と浜畑准教授。研究はさらに広がりを見せている。
BOOK/DVD
このテーマに興味を持った方へ、
関連する書籍・DVDを紹介します。
教員著作紹介
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『安元御賀記注釈』和泉書院(共著)
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『高野文学夜話』セルバ出版(共著)
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『平家物語生成考』思文閣出版
浜畑 圭吾/ 佛教大学 文学部准教授
HAMAHATA Keigo
