#仏教#国際#歴史#ことば
古代インドの仏教写本を解読し
ブッダの思想に迫る。
松田 和信佛教大学 仏教学部教授
Introduction
アフガニスタンのバーミヤン渓谷から発見された仏教写本の研究を進める松田和信教授。従来は漢訳やチベット語訳でしか残されていなかった仏教文献の原典解読から、仏教学に新風を吹き込む研究を行っている。
バーミヤン峡谷から出土した
古代インドの仏教写本を解読
アフガニスタンとパキスタンにまたがるガンダーラ、パキスタンのギルギット、バーミヤン峡谷など、1990年代中頃からアフガニスタンとパキスタンの各地で膨大な量の仏教写本の断簡類が相次いで出土している。
「20世紀初頭に各国の探検隊がシルクロードに点在する遺跡からインド語の仏教写本を発見してから100年近く、もはや新しい発見は望むべくもないと思われていましたが、皮肉にも20世紀後半のアフガニスタンの荒廃によって、仏教の栄えた古代の生の資料が日の目を見ることになったのです」と、インドの仏教文献解読を専門とする松田和信教授は解説する。
出土品は古美術市場を通して世界中の研究機関や蒐集家に引き取られ、仏教学研究の進展に貢献しているが、中でも世界の注目を集める一つが、ノルウェーの「スコイエン・コレクション」の調査・解読だ。90年代中頃にバーミヤン渓谷で発見され、ノルウェーの蒐集家の手にわたったもの。松田教授は、ノルウェーやドイツの研究者とともに20年以上にわたってコレクションに含まれる膨大な量の仏教写本の解読を続けてきた。これまでに四巻の大冊をノルウェーで出版している。
「写本は貝葉や樺皮、獣皮にガンダーラ語やサンスクリット語といった古代インド語で書かれており、その書体の変遷から紀元2世紀から8世紀頃に書写された仏教文献だと考えられます」と松田教授。教授によると、インドでは文字を書く際に椰子の一種であるオウギヤシの葉を横長の短冊状に切ったものが使われた。椰子の木のないガンダーラやバーミヤンでは代わりに樺の木の樹皮が使われたという。
スコイエン・コレクションに含まれる写本の総数は、小さな破片を合わせると1万点にものぼる。松田教授らはそれらを一つひとつ読み解き、ジグソーパズルのようにつなぎ合わせるという気の遠くなるような作業を経て、その内容を詳らかにしてきた。「ブッダがどんな人物でどのような教えを説いたのか。写本の解読からその思想に肉薄したい」と語る。
古代インドの文字で書かれた
仏教写本から新発見が続出
「ブッダが生きた時代、彼の活動したガンジス川中流域には文字は存在しておらず、ブッダの教えは口承で伝えられました。文字が登場するのはブッダの死から約100年後、インドを統一したマウリヤ朝アショーカ王の時代です。アショーカ王が残した碑文には、カローシュティー文字とブラーフミー文字という二種類の文字が使われています。後世に伝わる仏教聖典は、その時代から長い時間をかけて作り上げられてきたと考えられます」と松田教授は語る。
ところが仏教が途絶えた現在のインドには、インド語で書かれた仏教文献はまったく残されていない。そのため、これまでの研究では、ずっと後の時代にネパールやチベット、中央アジアへと仏教が広がる過程で遺されたインド語の写本、あるいは、チベット語や中国語に訳された文献を頼りにするしかなかった。「翻訳しかない文献や、翻訳すらなかった文献の原典が発見されたことで、従来の研究を覆す新たな知見を得られるかもしれない。そんな期待が膨らみました」。
バーミヤン渓谷の石窟寺院に収められていたと推察される写本類は、経(経典)、律(規則)、論(教義や解釈)からなる仏教聖典(三蔵)全般を網羅している。松田教授の期待通り、解読によって興味深いことが次々明らかになりつつある。
スコイエン・コレクションには大乗経典も多数含まれていて、浄土宗が拠り所とする浄土三部経の一つ無量寿経もその一つだ。サンスクリット語で記されており、6世紀後半に書かれたと推察された。「これまでは12世紀頃に北インドで書写された写本しか残っていませんでしたが、それより600年も古い時代の写本を見つけたことになります。面白いことに両者を比べると、文章量が後代の写本の約2分の1とかなり短いのです。書写が繰り返されるうちに文章が加えられ、元のヴァージョンから増えていったと考えられます」と松田教授は説明する。
また3世紀頃に書かれた般若経の写本にも興味深い発見があったという。「これまで現存するのは12~13世紀にサンスクリット語で書かれた写本だけでした。原典はもっと古い時代の崩れた言葉で書かれていたのではないかと推察されてきましたが、この般若経でそれが確かめられました」。数年前にはこれよりもさらに古い般若経の写本がガンダーラから見つかっています。
文献に裏打ちされたブッダの姿を
社会人受講生に解説
「私たちがブッダと呼ぶ人物が実在したことは間違いありませんが、仏教聖典に描かれるブッダの姿は必ずしも事実を反映しているものではありません。私の関心はあくまでブッダの本当の思想や仏教の原初の姿を詳らかにすることにあります」と松田教授。佛教大学が四条センターで一般の方々向けに開催する公開講座「仏教入門講座」でも教授は、こうした研究を通じて得た知見をわかりやすく伝えている。確かな根拠に基づいて描かれる古代インドの豊かな仏教世界を地域の人々が垣間見る好機となっている。
スコイエン・コレクションの調査を始めて20余年、これまでに解読したのは全体の3割ほどという。松田教授らは目下第5巻の発刊を目指して解読を続けているが、文献の全貌を明らかにするにはまだ時間がかかりそうだ。世界の仏教学研究を進展させる貴重な資料の上梓が待たれる。
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『Manuscripts in the Schoyen Collection - Buddhist Manuscripts, vols. 1-4 (2000-2016)』(共編著)
Hermes Publishing, Oslo
松田 和信/ 佛教大学 仏教学部教授
MATSUDA Kazunobu
[職歴]
- 1994年4月4日~1999年3月 佛教大学総合研究所助教授
- 1999年4月~2004年3月 佛教大学総合研究所教授
- 2004年4月~2010年3月 佛教大学文学部教授
- 2010年4月~現在に至る 佛教大学仏教学部教授
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