#ことば#文学#歴史

日本文学はどのように始まったのか
ー万葉の時代の文学表現を読み解くー

土佐 朋子佛教大学 文学部准教授

Introduction

良時代に編纂された日本最古の漢詩集『懐風藻』。そこには古の人々が中国の言葉に学び、自らの文学表現を創ろうと奮闘した痕跡がある。土佐朋子准教授はそうした日本文学の源流を研究している。

01

日本最古の漢詩集『懐風藻』の注釈本を解読する

2019年4月、新元号「令和」が発表され、その出典としてにわかに『万葉集』が脚光を浴びたことは記憶に新しい。

『万葉集』は奈良時代に編纂された現存する日本最古の歌集として知られている。それと並んで古代文学研究に欠かせない貴重な史料とされているのが、同時代に編まれた日本最古の漢詩集『懐風藻』である。「『懐風藻』が成立したのは751(天平勝宝3)年。編者は不明ですが、大友皇子や河島皇子、大津皇子や大伴旅人など、よく知られる歴史上の人物が詠んだ漢詩が収められています」。そう説明した土佐朋子准教授は、『万葉集』『懐風藻』を中心に日本古代詩歌を研究している。

土佐准教授の大きな業績の一つに、江戸時代末期に著された『懐風藻』の注釈書『懐風藻箋註』(静嘉堂文庫蔵)の翻刻(活字化)がある。「『懐風藻箋註』は現存する最も古い注釈書。刊行されたことがなく、沖 光正氏による私家版の翻刻はありますが、誰もが簡単に読めるものではありませんでした」と土佐准教授。そこで『箋註』全ページを撮影して影印を作るとともに、本文を一字一句テキスト化した翻刻を作成、公開した。

同時に書誌と伝来、『箋註』内の懐風藻本文の性格や注釈内容について精緻に論考した土佐准教授は、その中で興味深い指摘を行っている。「江戸時代、木版で印刷された『懐風藻』の版本がいくつか刊行されています。発行年代別に天和四年(1684)本、宝永二年(1704)本、そして寛政五年(1793)本と呼ばれる版本の中には、他の本と読み比べた校合結果や本文解釈、典拠が書き入れられた『書入本』もあり、それを見ると、当時『懐風藻』が漢詩集でありながら、歴史を知るための史料として読まれていたことがわかります。それに対して、漢詩文の語句や用法を詳しく注釈する『懐風藻箋註』は、当時としては画期的な試みだったといえます」。

加えてインパクトを与えたのが、『箋註』の作者を特定したことだ。准教授によると、『懐風藻箋註』の序文末尾に作者として「今井舎人」の署名があり、通説では系譜学者の鈴木真年と同一人物だといわれていたが、真偽は判然としなかったという。そこで土佐准教授は、鈴木真年の雑記帳『真香雑記』を新資料として検証し、今井舎人と鈴木真年が同一人物であることを論証した。

「鈴木真年は系図だけでなく、多岐にわたる多種多様な史料を収集して、事物の由来や来歴を検証する、考証学の発想と手法にもとづいた仕事を多く残しています。鈴木真年を系図学者という枠組みから解放し、考証学者として見た時、彼が『懐風藻箋註』を著す必然性が理解できます」と分析している。

02

現存する35の写本を照らし合わせて系統を分析

土佐准教授は最近、『懐風藻』の伝本系統を詳らかにするという大仕事も成し遂げている。

『懐風藻』を書き写した写本は現在、35本確認されているが、それら伝本間の比較検証は行われておらず、いったいどの本文が最善だと考えられるのか確定されていないという。土佐准教授は、これら写本の本文をすべて比べて表記の異同を確かめ、校合を行った。

これまで1933(昭和8)年に山岸徳平が8つの写本を紹介し、1957(昭和32)年に大野保がそのうちの6つの写本の校合を行うなどいくつか限定的な先行事例はあるものの、35本もの写本を総合して校合したのは土佐准教授が初めてだ。今後の『懐風藻』研究の大きな礎になることは間違いない。

03

大津皇子にまつわる詩歌はフィクションだった?!

「万葉の時代、人々が新たな文学表現を獲得していく上でお手本にしたのが、中国の漢詩集をはじめ漢籍でした。当時の人々が漢詩文からどのような言葉や表現を学び、それを自らの文学表現に昇華していったのか。それを知る手掛かりが『万葉集』や『懐風藻』にはあります」と土佐准教授。『万葉集』や『懐風藻』に収められた作品を見ると、恋愛での葛藤や過去に対する悔恨など抒情が実に豊かに表現されている。「実はそうした抒情表現は、『作者』が素直に心情を詠んだものばかりではありません」と。例えば土佐准教授が日本古代詩歌の奥深さに興味を膨らませるきっかけとなったのが、大津皇子に関する詩歌の数々だ。

土佐准教授によると、大津皇子は天武天皇の皇子で、686(朱鳥元)年、謀反の廉で処刑されたと『日本書紀』に記されている。『万葉集』には、大津皇子の姉で伊勢神宮の斎宮となった大来皇女がまるで恋人を想うように弟について詠んだ歌や、大津皇子と相思相愛だったと伝わる石川郎女との相聞歌がある。「それらは大津皇子の悲劇的な最期と相まって、いかにも物語的でドラマチックに描かれていることから、実は第三者が本人の名を借りて創作した『仮託』ではないかという説があります」と。さらに、大津皇子は、処刑直前に作ったとされる辞世歌は『万葉集』に、臨終詩は『懐風藻』に収められているが、「大津は、10月2日に逮捕、翌3日に処刑されている。そんな中で、歌も漢詩も作ったなんて本当でしょうか」と首をかしげる。「大津の死を惜しむ人が、大津の最期を物語ったのではないでしょうか」と土佐准教授は言う。

時にフィクションを織り交ぜながら戦略的に創作していた古の人々の斬新で豊かな文学創作に、土佐准教授は魅了され続けている。

2020年5月更新

BOOK/DVD

このテーマに興味を持った方へ、
関連する書籍・DVDを紹介します。

  • 「古代史で楽しむ万葉集」中西 進
    角川ソフィア文庫

  • 「萬葉百歌」山本 健吉、池田 彌三郎
    中公新書

  • 「万葉の人びと」犬養 孝
    新潮文庫

教員著作紹介

  • 『静嘉堂文庫蔵『懐風藻箋註』本文と研究』(編著)汲古書院

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土佐 朋子/ 佛教大学 文学部准教授

TOSA Tomoko

[職歴]

  • 2004年4月~2008年3月 都立航空高専講師
  • 2008年4月~2009年3月 都立産業技術高専准教授
  • 2009年4月~2019年3月 東京医科歯科大学教養部准教授
  • 2019年4月~現在に至る 佛教大学文学部日本文学科准教授
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