#京都#地域#伝統#歴史

民俗信仰に根差した京の祭りに見る
担い手たちの思い。

八木 透佛教大学 歴史学部教授

Introduction

都の夏を彩る衹園祭、そして五山の送り火。民俗学者の八木 透教授は、信仰に根差した厳粛な行事・祭りに光を当て、多くの観光客が楽しむ華やかなイベントに隠された担い手たちの思いを汲み取る。

01

衹園祭の山鉾に見る
担い手たちの意識の変化

日本随一の規模を誇る都市祭礼である衹園祭。衹園囃子とともに壮麗な山鉾が都大路を練り歩く山鉾巡行を見に、毎年多くの観光客が京都を訪れる。

日本の民俗行事や民俗芸能を研究する八木 透教授は、とりわけ民俗信仰や伝統行事の当事者に光を当て、その意識の変遷を捉えた他にはない研究を行っている。衹園祭の華である山鉾にも、その巡行を担う人々の意識の変化が表れていると指摘する。「現代の山鉾は、しめ縄が張られ、あたかも神様を祀る神社の本殿のように扱われています。しかし文献を読む限り、江戸時代までの山鉾は町衆にとって祭りの出し物の一つであり、必ずしも神聖なものではありませんでした」と言う。

京都祇園祭の菊水鉾

京都祇園祭の鯉山

八木教授によると、もともと「鉾」や「山」は衹園御霊会の神輿渡御に付随した出し物で、神輿の先導役ともいうべき存在だった。だがその華やかさからいつしか神輿以上に注目を集めるようになり、主客が逆転。衹園祭の神事から独立した町衆中心の行事となって発展してきたという。それが第二次世界大戦後、衹園祭がイベントとして脚光を浴びるのに伴って、山鉾を神聖視する傾向が強まっていったというのも不思議なことだ。「こうした担い手たちの意識の変化は、〈京都祇園祭と山鉾行事〉がユネスコ無形文化遺産に登録されるなど、外部から〈重要な文化的財産〉だと評価されるようになったことと無関係ではありません」と八木教授。昔は町の祭りだったものが、「文化財として保存し、後世に継承すべきもの」になったことが、神聖化を強める一因になったというわけだ。「加えて観光客が増え、部外者をみだりに近づけないために〈神聖なもの〉だと強調するようになった面もあるでしょう」と八木教授は分析する。

02

衹園祭で女性が活躍する将来も遠くない?!

「衹園祭をめぐる人々の意識の変化を語る上でもう一つ欠かせないのが、〈女性〉との関わりです」と続けた八木教授。衹園祭は今日でも基本的に女人禁制で、背景には女性の血に対するケガレ観があるとの見方が一般的だ。「ところが室町時代の絵画史料には、女性らしき人物が鉾に乗っている姿が描かれており、少なくとも15世紀初頭までは衹園祭の鉾に女性が乗っていた可能性があります。それが室町後期以降、徐々に山鉾から遠ざけられていったのではないかと思われます」と言う。

現代でも「文化財の保存・継承」の観点から女人禁制が継承されているが、衹園祭と女性の関わりについてもっと議論すべきだという声も大きくなりつつある。だが一方で、あえて曖昧なままにしておくことで摩擦を避けようという「いかにも京都らしい」動きがあることも明かした八木教授。「今では女性が囃し方を務めている山鉾もあるし、かつては巡行中の山鉾に女性が近づくことさえ許されませんでしたが、今では女性のカメラマンやレポーターが間近で取材するなど、変化も見られます。衹園祭で女性が活躍する将来もそう遠くはないかもしれません」。

03

五山の送り火の他にもあった
幻の送り火を追う

もう一つ衹園祭と並ぶ京都の夏の風物詩に五山の送り火が挙げられる。「送り火の起源は〈万灯籠〉や〈千灯籠〉などと呼ばれるもので、室町時代以降京都やその周辺で行われてきた灯籠行事だとされています」と八木教授。最初は先祖の霊魂を送る素朴な行事だったのが、次第に華やかに変化する過程で、山の斜面に火床を築き、松明で文字や図柄を描くという奇抜なものに発展してきたという。

夜8時、左京区東山如意ケ岳(大文字山)に「大」の文字が灯ると、その後5分間隔で万灯籠山と大黒天山に「妙法」、西賀茂船山に「船形万灯籠」、大北山に「左大文字」、曼陀羅山に「鳥居形松明」が灯される。加えて八木教授は、「実は五山以外にも幻の送り火があったことがわかっています」と明かす。

明治20年代の新聞に、鞍馬山近くの市原村に「い」という文字が、また「竿に鈴」を描いた送り火も灯ったとの記事があるという。また別の記事には、18世紀、鳴滝に「一」という送り火があったとの記述も見られるという。「しかし今ではそれらがどこの山に灯ったのか、正確なことは何一つわかりません」。その理由は、かつての送り火が毎年の恒例行事ではなかったからだと八木教授は考えている。「村で人が亡くなった時、その親族が中心となって送り火を灯したと書かれた史料が残っています。死者が出なければ、何年も送り火が灯されず、村の人にも正確な情報が継承されなかったのではないかと推察されます」。かつて確かにあった送り火の数々。その実態は今も謎のままである。

「知っていただきたいのは、衹園祭も五山の送り火も、民俗信仰に根差した厳粛な宗教行事であり、単なるイベントやお祭りではないということです」と最後に強調した八木教授。「祭の担い手たちは、数百年、あるいは1000年以上続いてきた伝統を途絶えさせないという覚悟を持って、真摯に祭りや行事に臨んでいます。山鉾巡行や大文字のような表層部分が強調され、それを支える人々の思いや行事本来の意義が置き去りにされるようなことがあってはなりません」と力を込める。八木教授が研究知見を発信するのも、そうした思いからに他ならない。行事や祭りの意味や価値を広く理解してもらう取り組みが、それらを未来へ継承していく一助になっている。

BOOK/DVD

このテーマに興味を持った方へ、
関連する書籍・DVDを紹介します。

  • 「京都祇園祭」中田 昭
    京都新聞出版センター

  • 「京都愛宕山と火伏せの祈り」八木透
    佛教大学アジア宗教文化情報研究所

教員著作紹介

  • 『日本の民俗信仰を知るための30章』淡交社

  • 『京のまつりと祈り―みやこの四季をめぐる民俗』昭和堂

KEYWORD

  • 京都
  • 地域
  • 伝統
  • 歴史
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SDGsとの関わり

八木 透/ 佛教大学 歴史学部教授

YAGI Toru

[職歴]

  • 1989年4月~1993年3月 佛教大学文学部専任講師
  • 1993年4月~2000年3月 佛教大学文学部助教授
  • 2000年4月~現在に至る 佛教大学歴史学部教授