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童謡「七つの子」に込められたメッセージとは。
文学と芸術から時代を読み解く。
坂井 健佛教大学 文学部教授
Introduction
大正時代に作られた童謡「七つの子」は、どのような意味なのか。坂井 健教授は、近代以降の文学と芸術に着目。さまざまな文献や周辺資料から作品を読み解き、当時の世相や人々の思想に迫る。
童謡「七つの子」は七羽のカラス?
それとも七歳の子ども?
「七つの子」
烏 なぜ啼くの
烏は 山に
可愛七つの子があるからよ
可愛 可愛と
烏は啼くの
可愛 可愛と
啼くんだよ
山の古巣へ
いって見て御覧
丸い眼をした
いヽ子だよ
(『金の船』3巻7号)
「カラス なぜ啼くの・・・」。幼い頃、このフレーズを耳にしたことのある人は多いだろう。童謡「七つの子」は、童謡・民謡の詩人として有名な野口雨情が作詞し、1921(大正10)年、『金の船』で発表された。翌年の1922(大正11)年、本居長世によって曲がつけられ、その後、1933(昭和8)年に『ウタノクニ』に再録された。「ところで、この歌の『七つ』とは、『七歳』の子でしょうか、あるいは『七羽』のカラスなのでしょうか」と話すのは、坂井 健教授だ。
坂井教授は、文学と芸術をテーマに、坪内逍遥と森鴎外との間で行われた文学・芸術に関わる没理想論争から文学作品、さらに抒情歌や童謡まで、近代以降の多様な作品・思想を研究している。史料や文献などの証拠に基づき、数々の作品を客観的・論理的に解釈・分析してきた。「七つの子」についても、掲載文献や周辺資料を丹念に読み解き、その意味を探っている。
「『七つの子』については、『本文』に加えて挿絵も解釈の材料として考えています」。それによると、初出の『金の船』の挿絵には、地面に集まった七羽の子カラスが写実的に描かれており、「七羽」と解釈されているのが明白だという。ところが『ウタノクニ』の挿絵には、飛んでいる二羽の親カラスと、家の窓で親を待つ、帽子をかぶった一羽の子カラスが童話的なタッチで描かれている。親カラスの一羽は嘴にお土産のようなものを提げており、さらに挿絵の両端には、人間の女の子と男の子も描かれている。「これらから『ウタノクニ』では、カラスは擬人化され、『七歳』の子をカラスに見立てていると考えられます」という。
ではこの二つの解釈のうち、どちらが作者である野口雨情の意図を反映したものなのか。「初出本文よりも再録本文の方が、作者の意図に沿って修正されているはずだという一般論に従えば、『ウタノクニ』にこそ、雨情の意図が反映されていると考えられます」。つまり『金の船』の挿絵は、編集部などが勝手につけたもので、これを修正するかたちで『ウタノクニ』の挿絵が描かれたというわけだ。
元歌「山烏」に共通する、
母親が可愛い子どもを思う気持ち
続けて、「『七つの子』には、元になった『山烏』という雨情の作品が存在しています」と坂井教授。それによると「山烏」には、「烏なぜ鳴く/烏は山に/可愛い七つの/子があれば」と、「七つの子」の冒頭部分とほぼ同一の内容が記されているという。
「雨情は、江戸時代から流行した二十六字詩に関心を持っていました。この唄も、一見して二十六字の都都逸であることがわかります。ちなみに当時の用例をふまえると、烏は『かわいい』と啼くものであるという共通理解があり、その上で『七つの子』も作られたと見ることができます」と解説した。
これらを念頭に置いて、「山烏」での「烏」も人間を指していると考えると、ここで「烏」に見立てられている人物は、山に可愛い七歳の子どもを残してきたと解釈できるという。「この唄が都都逸ということは、これが宴会の席の余興として唄われたものだと推定することも可能です。つまりこの人物は、おそらく山から出てきた色黒の芸者か女中で、『お前が泣くのは、田舎に可愛い七歳の子どもを残してきたからだろう』と、雨情がからかい半分に慰める気持ちで呼びかけた歌だろうと解釈できます」と読み解いた。
ここで坂井教授は翻って「七つの子」を次のように説明する。「第一句の『烏なぜ啼くの』は問いかけです。『おかあさん、烏はどうして啼くの?』と問いかける子どもに対し、次の句で母親が烏になり代わり、『私にお前という子どもがいるのと同じように、烏は山に可愛い七歳の子どもがいるからだよ』と応えていると解釈すると、すっきりします」
さらに坂井教授は、雨情自身が、数年間妻と幼い子を顧みる余裕もなく放浪を続けたことを引きながら、「山鳥」という都都逸が、後に親子のきずなの強さを歌った「七つの子」に高められたとのではないかと、想像を膨らませている。
流行歌と近代文学の関わりを探る
坂井教授は、近代文学と流行歌との関わりについても、面白い例を数多く見出している。その一つが、明治時代後期に歌われた「ハイカラソング」だ。歌詞には「ゴールド眼鏡のハイカラは/都の西の目白台/女子大学の女学生/片手にバイロン ゲーテの詩/口には唱える自然主義/早稲田の稲穂がサーラサラ/魔風恋風そよそよと」、「跡見女学校の女学生/背なに垂れたる黒髪に/挿したるリボンがヒーラヒラ/紫袴がサーラサラ/春の胡蝶のたわむれか」といったフレーズが並ぶ。
「ここで歌われている、黒髪にリボンつけた袴姿の女学生は、歌詞の中にもある『魔風恋風』からイメージされたものです」と言う。『魔風恋風』は、1904(明治37)年に発行された小杉天外のロマン小説だ。作中には、女学生の主人公・萩原初野が、海老茶の袴と矢絣の着物、白リボンをつけた髪をなびかせ、デードン色の自転車に乗って颯爽と走る場面が登場する。「当時としては非常にハイカラな女性像とともに、作品は大人気になりました。翌年に発表された流行歌にも、そうした当時の風俗が歌い込まれたのだと考えられます」と説明する。『魔風恋風』で描かれた「ハイカラさん」のイメージは、現代の少女漫画などにも踏襲されているという。
「抒情歌や童謡、流行歌の背景にも、当時の世相や社会の思想を読み取ることができます」。そうした資料の読解から、過去の人々が何を考えていたのかが見えてくる。それを探るのが研究の醍醐味だという。
教員著作紹介
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『日本文学研究法』北斗書房
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『復刻版 評論でみる明治大正文学史』北斗出版
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『没理想論争とその影響』思文閣出版
坂井 健/ 佛教大学 文学部教授
SAKAI Takeshi
[職歴]
- 1991年7月~1994年6月 筑波大学文芸言語学系・助手
- 1995年4月~1999年3月 佛教大学・文学部・専任講師
- 1999年4月~2006年3月 文学部助教授
- 2006年4月~現在に至る 文学部教授