#歴史#家族#日本#文学

『源氏物語』を読む。
明石一族をめぐる物語に秘められた主題とは?

神原 勇介佛教大学 文学部講師

土佐派 『源氏物語』画帖 (1615‒1868)

Introduction

安時代中期に書かれた紫式部による大長編物語『源氏物語』。神原勇介講師は、作中に登場する明石一族をめぐる物語に注目。そこに「女系繁栄」という、全編に通底する秘められた主題があることを読み解いた。

01

『源氏物語』は
光源氏の恋愛遍歴と出世の
サクセスストーリーではない!?

紫式部が著した平安朝文学の傑作『源氏物語』は、主人公の光源氏が、恋愛遍歴を重ねながら、朝廷で栄華を極めるまでが描かれた成功譚である。その全54帖に及ぶ物語の中に、光源氏と深いかかわりを持つ明石一族をめぐる物語がある。

明石一族が最初に登場するのは、第12帖「須磨」の巻。かつては大臣まで輩出した有力な貴族の家系だったが、いまや見る影もなく落ちぶれ、その末裔である明石の入道が一介の受領となって明石(現在の兵庫県明石市)の地に暮らしている。明石の入道には娘がいて、やがて光源氏と契りを結び、女の子を出産する。この明石の君の娘は、政治の中枢に食い込むことを目論む父・光源氏の後押しにより、身分の低い出自でありながら、東宮(皇太子)に輿入れする。東宮の子を身ごもり、男の子を出産。その男子は、ついには皇太子となって次代の皇位を約束された。こうして入道の娘・孫娘の躍進によって、明石一族は再び貴族社会に返り咲くことができたのだった。

第34帖「若菜上」では、明石の入道が、娘が生まれるはるか以前に見た夢のお告げを信じ、一人娘を光源氏に嫁がせたことが明かされる。光源氏は、出世のために明石一族を利用していたつもりで、実は自らが利用されていたことに気づき、愕然とするのだった。

この明石一族をめぐる物語を「娘、すなわち女系の血筋によって再起・繁栄する物語」と読み解くのが、神原勇介講師だ。「我々は『源氏物語』を、もっぱら光源氏のサクセスストーリーとして読んでいますが、光源氏が体現する価値観をも凌駕し、作品全体を通して最も強く打ち出されている価値観・主題は、実は『女系の血筋の繁栄』であり、明石一族の物語こそ、それを体現しているのではないかと考えています」と言う。

『源氏物語 「明石」』伝岩山道堅筆 重要文化財/室町時代・15~16世紀 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/B-3183-13)
02

紫式部が仕えた中宮彰子が
大切にした「女系繁栄」の価値観

しかし『源氏物語』の隠れテーマともいうべき「女系繁栄」を志向する価値観は、一体どこから生じ、物語に織り込まれたのだろうか。

神原講師は、「『源氏物語』の作者である紫式部が女房として仕えた中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)とその周辺に共有された価値観だったのではないか」と指摘する。「『源氏物語』を執筆したのは紫式部ですが、その発注者は、主人である中宮彰子だと考えられます。当然その内容には、中宮彰子の意向が多分に反映されていた可能性があります」と理由を説明する。神原講師によると、中宮彰子が女系重視の価値観を持っていたことは、先行研究で歴史研究家が指摘しているところだという。

中宮・藤原彰子は、藤原道長を父に、左大臣源雅信の娘・源倫子(みなもとのりんし)を母に持ち、長じて一条天皇の中宮となった。中宮彰子の母の源倫子は、宇多天皇の曾孫で、神原講師の表現を借りれば、宇多天皇の女系子孫にあたる。「歴史学では、源倫子、そして娘の彰子は、この宇多天皇から続く女系の血筋を大切に思っていたらしいという見解で一致しています」

それを裏付けるエピソードとして神原講師は、中宮彰子による仁和寺の再建を挙げた。仁和寺は、宇多天皇によって開創され、天皇の子孫が高僧として寺を守り続けてきた。仁和寺の中には、彰子の曾祖父である敦実親王が建立した観音院という区画も存在した。しかし、この観音院は、火事によって焼失してしまう。彰子は中宮になった後、約20年もの歳月をかけ、観音院の再建に力を尽くした。「これは中宮彰子が、宇多源氏の女系子孫として、母方の実家である宇多天皇の血筋を盛り立てていくことを自らの使命と感じていたからだと捉えることができます」

土佐派 『源氏物語』画帖 (1615‒1868)
03

作品が形成された時代の
人や出来事を知ると
思いもよらない主題が見えてくる

また「中宮彰子が女系の血筋を重視していたことは、彰子に仕える女房達にも表れていました」と神原講師は続けた。中宮彰子には、紫式部を含め数十人もの女房が仕えていたとされるが、その中でもひと際高い地位に取り立てられていたのは、彰子の母方の従姉妹たちだった。「中宮彰子を取り巻く女房たちは、母方の血筋で連帯していたともいえます」

さらにその他の女房たちも、当時としては珍しいことに、自身の実家の家柄や家風を継いでいく、すなわち女系継承の意識を強く持っている人が少なくなかったという。他でもない紫式部も、その一人だった。「紫式部の父・藤原為時は、漢詩人・漢学者で、紫式部も中宮彰子に漢文を教えていたことが、『紫式部日記』に明記されています。しかも教材にしていたのは、政治的要素の強い文学作品でした。中宮という支配層の頂点にいる女性に、そうした漢文を教授していた。それは、とりもなおさず紫式部が、女性ながらに父親の仕事・家の職業を受け継ごうとした意志の表れと見て取れます」と神原講師。

同じく彰子に仕えた紫式部の後輩女房に、伊勢大輔(いせのたゆう)という歌人がいる。伊勢大輔の実家は歌人の家柄で、伊勢大輔、その父・大中臣輔親(おおなかとみのすけちか)、祖父・大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の和歌は、いずれも百人一首に収録されており、大中臣能宣は、勅撰和歌集の撰者も務めた。「伊勢大輔も、女性である自分自身が、歌人の家柄を受け継ぐという強い意志を持ち、また父親からもそうした教育を受けたことが最近の研究でわかってきています」と言う。

紫式部が、中宮彰子の指示で「女系繁栄」という主題を物語に盛り込んだのかは、明確にはわからない。「しかし少なくともその価値観に深く共鳴していたのではないかと考えています」と、神原講師。

「文学作品は、歴史や風俗、風土と深く関わり合いながら形成されています。実在の人物やその時代の出来事や慣習を知って『源氏物語』を読み直すと、より理解が深まります」。神原講師の研究は、『源氏物語』の思いもよらない面白さを教えてくれる。

『源氏物語図屏風(明石・蓬生)』安土桃山時代・16世紀 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-11153)
2024年12月更新

BOOK/DVD

このテーマに興味を持った方へ、
関連する書籍・DVDを紹介します。

教員著作紹介

  • 『言葉から読む平安文学』武蔵野書院(共著)

  • 『『源氏物語』明石一族物語論:形成と主題』新典社

KEYWORD

  • 歴史
  • 家族
  • 日本
  • 文学
全てのキーワードを見る

神原 勇介/ 佛教大学 文学部講師

KAMBARA Yusuke

[職歴]

  • 2018年4月~2022年3月 國學院大學・兼任講師
  • 2022年4月~現在に至る 佛教大学 文学部 日本文学科 講師
教員紹介