#歴史#国際#日本
環太平洋海域に日本を位置づけ、
新しい近代史像を描く。
麓 慎一佛教大学 歴史学部教授
Introduction
幕末から維新期にかけてのロシア帝国と日本の関係について研究する麓慎一教授。ロシアの史料をひも解くことで、これまでの日本史では語られなかった新しい歴史像を浮かび上がらせた。
ロシアの史料をひも解くと、「北からの侵攻」とは
異なる彼らの企図が見えてくる
日本の近世史・近代史においてロシア帝国は、日本に襲来する脅威として記録されている。「これまで近世後期のロシアの進出は、日本の領土を奪い取るための『北からの侵攻』という文脈で語られてきました。しかし、それは誤りです」。そう語るのは、幕末から維新期にかけての北方史を専門にする麓慎一教授である。麓教授は、日本の史料だけでなく、ロシアに残る史料をひも解くことで、従来の日本史では描かれなかった新しい歴史像を提示している。
近世後期には日本とロシアが交わる重要な史実がいくつかある。1792(寛政4)年10月のラクスマンA.K.の根室来航、1804(文化元)年9月のレザノフH.Ⅱ.の長崎来航、1853(嘉永6)年7月のプチャーチンE.B.の長崎来航は、日本と通商関係を結ぶことを希求していた。麓教授は、ロシア国立海軍省文書館に保管されている当時のロシア海軍省の文書を丹念に読み解き、「いずれも日本の領土への野心とは無縁だった」と結論づけている。
ではなぜロシアは日本に関心を持ったのか?それは、ロシアの環太平洋政策、具体的にはロシア領だったクリル諸島(千島列島)やカムチャッカ半島、そして現在のアラスカにあたるロシア領アメリカを経営するためだったという。ロシア帝国は、18世紀後半、アラスカをロシア領アメリカとして領有し、その経営のため1799(寛政11)年に露米会社を設立。近海でラッコやオットセイを獲って毛皮交易を行っていた。「プチャーチン派遣のために開かれた特別委員会の議事録には、『将来における利益の確保とカムチャッカ半島およびロシア領アメリカへの食糧と物品の運送のために日本との関係が必要である』と記されています」と麓教授。つまりロシアが日本と関係を結ぼうとしたのは、日本の領土を欲していたのではなく、「日本が環太平洋地域のロシア領に近接している」からだった、というわけだ。
サハリン島の占拠は、領有が目的ではなかった
また1853(嘉永6)年8月にロシアがサハリン島の南岸にあるクシュンコタンを占拠して東シベリア総督の名前を付したムラヴィヨフ哨所を建設した「サハリン島占拠事件」についても、その占拠から撤去に至る経過を詳細に分析し、占拠について「ロシアが懸念していたのは、日本ではなくアメリカ合衆国の動向だった」と考察している。
「ペリーが日本を開港させた後、アメリカがサハリン島を植民地にするのではないか、それによってオホーツク海のロシア領が脅威にさらされる、と危惧したために起きた事件だったのです」。その撤去についても「ロシアがムラヴィヨフ哨所を撤退したのは、1853(嘉永6)年のクリミア戦争の開戦によるフランスとイギリス両艦隊からの攻撃を回避するためにプチャーチンが決定したものであり、日本との関係はほとんど眼中になかった」という。
続けて、1859(安政6)年に来日した東シベリア総督ムラヴィヨフが幕府と交渉した経緯もロシアの史料から詳らかにしている。「ムラヴィヨフは軍事衝突も辞さない覚悟でサハリン島の領有を主張しましたが、その理由は、外国、特にイギリスがサハリン島を占拠するのを防ぐためだった」とし、それはロシアが1858(安政5)年の愛琿条約と1860(万延元)年の北京条約によって行った沿海州地域の獲得と関連している、と説明する。
このように日本を環日本海域に位置付けて分析した研究は、これまで殆んどなされてこなかった。ロシアの環日本海政策と日本の関係に焦点を当て、新たな歴史を浮かび上がらせたのは麓教授の功績であろう。
環太平洋海域の秩序の崩壊が日本に及ぼした影響とは
クリミア戦争後、赤字続きだったロシア領アメリカ(アラスカ)の経営を断念したロシアは、1867(慶応3)年、これをアメリカに売却する。「これまでの研究から、この売却が環太平洋の海洋秩序を崩壊させたことに気づいた」と話す麓教授。現在、この環太平洋の北方海域の秩序の崩壊と再生が日本にどのような影響を与えたのかを解明しようとしている。画期的なのは、英語・ロシア語・日本語(古文書)の史料を使ったマルチアーカイブな手法で、これまでに類を見ない多角的な分析を行うところだ。
その一つとして着目するのが、1908(明治41)年に日本のラッコ猟船がロシア海軍に拿捕された「三重丸事件」である。麓教授はその背景をこう説明する。「環太平洋の北方、すなわちベーリング海域は、ロシア海軍によって厳しい漁業・漁猟規制が行われていました。ところがロシア領アメリカを売却後、この地域に付随する海域が不明瞭だったため、海洋秩序は大きく崩れました」。その結果、この海域でアメリカや英領カナダの猟者によるラッコ・オットセイの密猟が横行。そこで1890年代からアメリカ、イギリス、ロシアの間で漁猟に関する暫定的な条約が結ばれる。しかし、その条約に日本は参画していなかった。「三重丸は、国際法上の公海に当たるロシア領海の三海里外で漁猟を行っており、ロシア外務省は条約違反を主張できないことを知りながら三重丸の拿捕を海軍省に指示したが、日本の外務省の猛烈な抗議を受けてそれを中止した」と解説する。その後、ロシアは、アメリカやイギリスと結んだラッコ・オットセイ保護条約に日本を引き入れることに方針を転換する。そして、1912(明治45)年に日本・アメリカ・イギリス・ロシアの4か国間での新たな「ラッコ・オットセイ保護条約」が締結されることとなった。「この事件は、日本が領海の国際的なバリエーションを理解する契機になった」と分析している。
麓教授は、ロシア国立海軍文書館の史料の他、イギリス国立文書館の「F0881(イギリスの国際関係)」や「F0441(ベーリング海域関係)」などの文書を調査。さらに日本に所蔵されている北洋漁業に関する史料群もひも解き、環太平洋の海洋秩序の再編を巡るこうした事件や条約締結の経緯をさらに掘り下げ、多角的な解明を試みている。今後、世界史と日本史をつなぐ新しい近代史の構築を目指している。
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麓 慎一/ 佛教大学 歴史学部教授
FUMOTO Shinichi
[職歴]
- 1994年 北海道大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程単位取得退学
- 1994年 北海道大学文学部助手(日本史学講座)
- 2000年 新潟大学教育人間科学部助教授
- 2013年 新潟大学人文社会・教育科学系(教育学部)教授
- 2019年 佛教大学歴史学部教授