#仏教#国際#マイノリティ
インドの不可触民解放運動の現在を
人々の日常から描き出す。
根本 達佛教大学 社会学部准教授
Introduction
インドで「不可触民の父」と呼ばれる指導者アンベードカル博士の死後、現在も元不可触民の仏教徒は反差別運動に取り組んでいる。根本 達准教授は現地でのフィールドワークを通してその様相を捉えてきた。
インド・不可触民解放運動の地でフィールドワーク
インド西部マハーラーシュトラ州の一都市ナーグプル市。ここは1956年、B.R.アンベードカル博士(1891-1956)に率いられ、30万人以上ともいわれる元不可触民のヒンドゥー教徒たちが仏教へ集団改宗した場所である。
「アンベードカル博士は、インドの不可触民解放運動の指導者です。自身もマハール・カーストというコミュニティに生まれ、最下層の「不可触民」として差別を受けます。苦しい生活の中で留学した後、インド憲法起草委員長まで務めました。『不可触民の父』と呼ばれ、今もインドで大きな尊敬を集めています」。
そう説明した根本 達准教授は、ナーグプル市を拠点に2001年からフィールドワークを行ってきた。元不可触民の居住区で仏教寺院が運営する診療所の2階に部屋を借り、現地のものを食べ、現地の服を着て祭りに加わり、現地の人々と共に生きながら、その中で見えてくる人々の姿をすくい取ろうとしてきた。根本准教授が注目するのは、卓越した指導者だったアンベードカル博士を失って以降、今日までの「ポスト・アンベードカルの時代」だ。
人々の日常の営みから反差別運動を問い直す
ヒンドゥー教徒でありながらヒンドゥー寺院に入れないなど、インド社会で厳しい差別を受けてきた「不可触民」たちによる反差別運動が活発化したのは、1920年代後半。その指導者になったのが、アンベードカル博士だ。アンベードカル博士はインド社会の差別撤廃に取り組み、インド憲法に「不可触民制の廃止」を定めた。最終的には元不可触民自身による「自己の尊厳の獲得」を目指し、ヒンドゥー教から離脱する道を選ぶ。そうして1956年10月14日、アンベードカル博士と元不可触民たちは仏教へと集団改宗したのだった。
「ところがそれからわずか1ヵ月半後、アンベードカル博士は亡くなってしまいます。偉大な指導者亡き後、仏教に改宗した元不可触民の人々が今日までどのように反差別運動を展開してきたのか、そこに関心を持っています」。
とりわけ独創的なのは、根本准教授が人々の日常生活に目を向け、市井の営みが反差別運動のダイナミズムにどのような影響を与えるかを捉えようとするところにある。「アンベードカル博士の死後、攻撃的で、時に暴力的な反差別運動が展開される一方で、元不可触民の仏教徒たちがヒンドゥー教徒との日常的な関わりの中で新たな関係をつくり、それが社会運動をつくり直していく。そのあり様を捉えたいと考えています」と語る。
例えばインドでは、血縁関係ではなくても親しい間柄では「お兄さん」「お姉さん」などと親族名称で呼び合うことが多い。根本准教授がフィールドワークを行った地域では、差別されてきた元不可触民の仏教徒と、マジョリティであるヒンドゥー教徒が、日常生活の関わりの中で互いを親族名称で呼び合っている姿がしばしば見られるという。
「中でも象徴的だったのが、ナーグプル市近郊のある農村で展開された飲料水プロジェクトでした」と根本准教授。その農村では以前から深刻な飲料水汚染が問題になっており、仏教徒の活動家組織によって村を流れる川の水を浄化して村人に低価格で提供するプロジェクトが始まった。この時仏教徒たちは、「自由、平等、博愛」を説いたアンベードカルの思想に従って、仏教徒の村人だけでなく、ヒンドゥー教徒など他の宗教や異なるカーストの村人にも平等に飲料水を分配したという。
「不可触民」として差別され、時には水さえも与えられなかった仏教徒たちは、差別してきた人々にも水を配るという「自由、平等、博愛」を実践することで、「自己の尊厳」を獲得したのだと根本准教授は見る。「日常の関わりの中で共通の苦しみを乗り越える過程を通して、互いに認め合う関係が生まれている。それは民族や宗教集団間の対立を克服する上で、一つの貴重な示唆を与えてくれます」。
アンベードカル博士の意思を継ぐ
日本人仏教僧の保存史料をデジタルアーカイブ化
アンベードカル博士の死後、彼の意思を受け継いだ人々の中に一人の日本人がいる。仏教僧の佐々井秀嶺師(1935-)だ。佐々井師は1967年頃からナーグプル市を拠点に仏教の布教活動を開始し、現在に至るまで50年以上にわたって現地で仏教復興に取り組んでいる。根本准教授は佐々井師に何度もインタビューを行い、その宗教思想に迫ろうとしてきた。
2016年からは、佐々井師が保存する史料をデジタルアーカイブ化するプロジェクトに取り組んでいる。「佐々井師は日本を離れた1965年前後から現在まで手記や日記、手紙、写真、動画、新聞の切り抜きなど多岐にわたる史料を保存されてきました。これらの中には研究資料として極めて価値の高いものが数多くあります。それをデジタル化して後世に残そうというのがプロジェクトの目的です」。
根本准教授らは、膨大な史料を日本に運び、日記や手記、写真を分類し、時系列に整理して写真撮影する他、VHSテープやHDVテープをデジタル変換。現在は手記や日記、手紙などに書かれた文字のタイピング作業も進めている。
「アンベードカル博士が亡くなって以降の一時期、仏教徒たちの不可触民解放運動に関わる研究が大幅に減ってしまいました。佐々井秀嶺保存史料は、この『ポスト・アンベードカル時代』の空白を埋める貴重な情報を伝えてくれます。同時に佐々井師自身が反差別の宗教実践を通じてどのような仏教思想を形成してきたのかを解き明かす上でも重要な意味を持っていると考えています」と根本准教授。今後さらなる研究が待たれる。
BOOK/DVD
このテーマに興味を持った方へ、
関連する書籍・DVDを紹介します。
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『カーストの絶滅』B.R.アンベードカル(山崎元一、吉村玲子 訳)/明石書店
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『ブッダとそのダンマ』B.R.アンベードカル(山際素男 訳)/光文社新書
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『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール(山際素男 訳)/光文社新書
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『Fandry. Nagaraj Manjule』マラーティー語の映画
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『Sairat. Nagaraj Manjule』マラーティー語の映画
教員著作紹介
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『社会苦に挑む南アジアの仏教-B.R.アンベードカルと佐々井秀嶺による不可触民解放闘争』関西学院大学出版会(共著)
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『21世紀の文化人類学-世界の新しい捉え方』新曜社(分担執筆)
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『ストリート人類学-方法と理論の実践的展開』風響社(分担執筆)
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『ポスト・アンベードカルの民族誌-現代インドの仏教徒と不可触民解放運動』法藏館
表彰
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2019年度(第7回)日本南アジア学会賞
2019年10月
根本 達/ 佛教大学 社会学部准教授
NEMOTO Tatsushi