#歴史
ローマ帝国の繁栄と衰亡。
辺境の地から新たな側面を
浮き彫りにする。
南川 高志佛教大学 歴史学部 特別任用教員(教授)
Introduction
紀元前後の数百年にわたって巨大な国家を築き上げたローマ帝国。南川教授は、政治史からローマ帝国の繫栄と衰亡を研究してきた。さらに今、ローマ人の「心」に焦点を当て、内面から帝国のあり様を捉えようとしている。
ローマ帝国はなぜ繁栄し、
なぜ滅んだのか
二千年前、ローマ帝国は広大な地域を支配下に置き、史上類を見ない巨大国家を築いた。「なぜローマ人がこれほどの大国をつくることができたのか。そしてまたこれほど繁栄した国がなぜ滅んだのか。この問いは、長く議論の的になってきました」と語る南川高志教授も、40余年にわたってローマ帝国期の政治史を研究し、この問いを追究してきた一人である。
ローマ帝国は、イタリア半島中部の小さな都市として生まれたローマ人の国から始まった。「それが紀元前3世紀前半までに半島を統一し、前1世紀の終わり頃には地中海周辺のほぼすべての地域を支配下に収めました。最盛期の紀元後2世紀前半には、北は現在のイギリスから南はエジプト南部まで、西はモロッコから東はイラクに至る広大な領土を統治していました」と言う。
南川教授は、ローマ帝国が最も栄えた紀元1世紀から3世紀前半までの政治史を追い、ローマの繁栄を支えたものが何だったのかを考察してきた。研究の観点を転換したのは、イギリス留学を経た2000年頃だ。それまでの欧米の学界とは異なる独自の視角からローマ帝国を眺めるようになる。取り組んだのは、イタリアを中心としてローマ帝国を見るのではなく、視点を「辺境」において帝国の本質を再考するという試みだった。
辺境の地から見たローマ帝国
辺境の属州だった現在のイギリス・ブリテン島で、ローマ帝国がどのように扱われてきたのかを検討した研究は、学術界でも大きな注目を集めた。
イギリスにおいて、ローマ帝国への高い評価、あるいは憧憬は、現代でもあらゆるところに見出すことができる。だがそれは、ローマ帝国時代にかたちづくられたものではない、と南川教授は指摘する。
「ローマ帝国時代には、近代以降のような『国境線』はなく、辺境の地でのローマ側の支配は、極めて緩やかなものでした」と言う。南川教授によると、ローマ人たちは支配下に置いた属州に対して、在地の支配階層に自治を主導させ、それまで通り領土の管理を任せた。「税金と兵隊の拠出を求める代わりに、もし周辺地域から侵略を受けた場合は、圧倒的な力で守ることを約束する。こうして属州の支配階層といわば共犯関係を築くことで支配させ、帝国自体は小さな政府で統治していたというわけです」
それに加えて、「そもそもローマ帝国の担い手である『ローマ人』やその集団は「あいまいな」性格で、近現代でいう『民族』の概念では捉えられません」と指摘する。属州内外の人々にも「ゲルマン人」「ケルト人」などといった自己認識はなく、人々の帰属意識はもっと小さな集団にあったという。
「古代ではローマ帝国への帰属意識が薄かったブリテン島(イギリス)において、ローマ支配下にあったことが評価されるようになったのは、近代に入ってからです」と続けた南川教授。19世紀に入り、イギリスが植民地帝国を形成する中で、ローマ帝国が辺境の地に文明をもたらしたと解釈されるようになったのがその理由だという。「つまりイギリス・ブリテン島が真に『ローマ帝国になった』のは、後世に形成された歴史像の中でだったといえます」と解説した。
さらに南川教授は、「辺境」という視座から、ローマ帝国の衰亡史においても新たな側面を浮き彫りにしている。有名なギボン以来、多くの歴史書では、ローマ帝国を衰退させ、滅亡に至らしめた原因は、ゲルマン民族の移動とキリスト教にあるとされている。それに対し南川教授はこう考察する。「最盛期のローマ帝国を見ればわかるように、領域や担い手のあいまいさこそが、帝国を支える要件でした。それが、大移動が始まった4世紀後半以降、徐々に『あいまいな』自己理解・他者認識を拒絶する方向に変質し、内部の他者を差別、排斥しようとする動きが出てきました。こうした排他的ローマ主義の出現によって、国家は威信と支持を失い、急速に滅んでいったと考えられます」
ローマ人とは何者だったのか、
その心に迫る
ローマ帝国の最盛期から衰亡の時代まで研究してきた南川教授が、現在着目しているのが、ローマ帝国の「統合」をめぐる問題だ。ローマ帝国による支配領域の統合の実態については、行政システムや法制度、都市構造、経済活動などが研究されてきた。南川教授は、帝国がどのように統治したかだけでなく、被征服者の側から見た帝国のあり様を捉えようとしている。
これを解き明かすために焦点を当てるのが、ローマ人の「心」だという。「先に指摘したように、辺境の地では属州とした後もローマ帝国の直接支配は緩やかなものでした。ローマ人であるというアイデンティティもあいまいな性格だったため、心の内までは『ローマ化』が進んでいなかったのではないかとも考えられます。こうした支配地域の人々や集団は、自己をどのように認識しながら『帝国の民』として暮らしていたのか。辺境にあった人々の内面から帝国支配の謎を解き明かしたいと考えています」と言う。
そのための貴重な史料として、古代ローマ人の墓や記念物に注目する。「ラテン語やギリシア語で銘が刻まれたローマ人の墓や記念物が多数残っており、史料として採集されています。そこには、故人の役職歴や生活ぶりを描いた図像なども刻まれています。それらから彼らが自分自身のことを「ローマ人」と第一義的に認識していたのかも見えてくるかもしれません」。よりリアルなローマ人の『心のあり様』に迫り、ローマ帝国時代に生きた人々が自分を何者だと捉えていたのかを読み解いていく。
BOOK/DVD
このテーマに興味を持った方へ、
関連する書籍・DVDを紹介します。
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『生き方と感情の歴史学 ―古代ギリシア・ローマ世界の深層を求めて』南川高志・井上文則編/山川出版社
教員著作紹介
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『ローマ皇帝とその時代 ―元首政期ローマ帝国政治史の研究―』創文社
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『ローマ五賢帝 ―「輝ける世紀」の虚像と実像―』講談社
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『海のかなたのローマ帝国 ―古代ローマとブリテン島―』岩波書店
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『新・ローマ帝国衰亡史』岩波書店(中国語訳/中信出版)
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『マルクス・アウレリウス ―『自省録』のローマ帝国』岩波書店
メディア等掲載
南川 高志/ 佛教大学 歴史学部 特別任用教員(教授)
MINAMIKAWA Takashi
[職歴]
- 1995年12月~1996年3月 京都大学・文学部・教授
- 1996年4月~2021年3月 京都大学・大学院文学研究科・教授
- 2021年4月 京都大学・名誉教授
- 2021年4月~現在に至る 佛教大学・歴史学部 特別任用教員