#こころ#健康#マイノリティ#ジェンダー
新しい制御メカニズムから
生殖を巡る謎を解き明かす。
小澤 一史佛教大学 保健医療技術学部教授
Introduction
性や生殖に関わる機能は、実は脳によって制御されている。その機構に重要な役割を果たすキスペプチンの発見後、世界で研究が加速している。小澤一史教授は日本におけるその医学的研究の第一人者として生殖機能制御のメカニズムを研究している。
キスペプチンが発見され
生殖機能制御のメカニズムが
分かってきた
思春期の心身の変化や、性成熟期の受精・妊娠といった生殖に関わるさまざまな機能は、すべて脳が司っている。
「脳内の視床下部から指令が出て、男性は精巣から、女性は卵巣からそれぞれ性ホルモンが分泌されると、それが血管を通って脳にフィードバックされます。脳がその性ホルモンを感知し、例えば男性なら変声、精子形成、女性なら排卵、月経を導くような指令を出す仕組みです。こうした脳とホルモンのフィードバック機能によって、生殖機能は制御されていると理解されています」と小澤一史教授は説明する。
学術的には、脳の視床下部(H)→下垂体(P)→性腺(G)というHPG軸から視床下部へフィードバックするというループがあると説明される。詳しくは、視床下部から性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)が分泌されて下垂体前葉に運ばれ、そこで性腺刺激ホルモン、すなわち黄体形成ホルモン(LH)/卵胞刺激ホルモン(FSH)の分泌が促される。次にLH/FSHがそれぞれ性腺(精巣・卵巣)に働きかけ、アンドロゲン(男性ホルモン)・エストロゲン(女性ホルモン)といった性ステロイドホルモンの分泌を誘導する。この性ステロイドホルモンが血流に乗って脳の視床下部に戻り、神経細胞(GnRHニューロン)に作用して生殖機能を制御するというわけだ。しかしここには一つの大きな未解明の問題があった。
「男性/女性ホルモンが脳に戻った時、通常なら視床下部の神経細胞(GnRHニューロン)には、それを受け取るための受容体(レセプター)があるはずです。ところがGnRHニューロンに受容体が世界中の研究者が調べても確認されず、いったいどうやって男性/女性ホルモンを受け取っているのか、長い間、フィードバック機構の本質が謎になっていました」と言う。
小澤教授によると、2003年にフランスの研究者たちによって発見されたある因子(受容体)が、HPG軸のフィードバックシステムの活性化に極めて重要である可能性が報告された。その後、その受容体と結合する新しい生理的神経活性物質が発見され、「キスペプチン(Kisspeptin)と名付けられた。この生理活性神経ペプチドを有する神経細胞は、性ステロイドホルモンの受容体が発現しており、更にGnRHニューロンを制御していることがわかり、世界中の生殖神経内分泌学、生殖神経科学の研究者に大きな衝撃を与えました」
生殖のメカニズムと
多様な環境因子との関係を探る
キスペプチンの発見によって、それまで未解明であったHPG軸のフィードバックシステムを巡るさまざまな謎が次々に明らかになってきた。「思春期がどのように発動されるのか、生殖機能調節はどのように行われるのか、これまで何となく概念的に理解されていたことが、より科学的・理論的に説明できるようになってきました」と言う。
栄養障害と生殖機能障害との関連性もその一つだ。「過度なダイエットや激しい運動によってBMIが低下し過ぎると、月経が止まったり、不妊症に陥ったり、生殖に悪影響を及ぼすことが知られています。しかしそれがどのようなメカニズムで起こっているのか、科学的にはわかっていませんでした。それがキスペプチンの発見によって解明されつつあります」。キスペプチンニューロンは摂食制御神経システムとつながっていることが報告されている。BMIが低下し過ぎた状態になると、キスペプチンニューロン活性が低下し、その結果、HPG軸フィードバックシステムの活性も低下して生殖機能障害を起こす可能性が考えられるという。
小澤教授は、ラットを使った実験から、母体の栄養状態が仔の後々のキスペプチンニューロンの発現や生殖機能にまで影響を与える可能性を明らかにしつつある。「妊娠中のラットに高栄養、通常栄養、低栄養の餌を与え、それぞれから生まれた仔の成熟後の生殖器の成熟や思春期の発動、性ホルモンの発現などを調べました。解析の結果、高栄養の母体から生まれた仔に比べて低栄養の仔は、成長後の生殖系機能が低いことがわかりました」
また大きなストレスが生殖機能に影響を与えることについても、具体的な神経科学的回路がわかってきた。小澤教授らは、ストレス関連ホルモンによる情報がキスペプチンを介してHPG軸などの生殖機能制御系へと伝わる可能性を明らかにしている。
性認知の多様性のメカニズムを
脳科学から考える
さらに生殖機能を制御する仕組みが分かると、多様な性認識(性自認)が生じるメカニズムも見えてくる。「自分の性認識と身体の性別が一致しないように感じる性的違和は、生物学的・脳科学的には、十分起こり得る現象です」と小澤教授。「先に説明したように、HPG軸フィードバックシステムで、精巣/卵巣から男性/女性ホルモンが分泌され、それが脳にフィードバックされて各々の性行動や性意識が発現していきます。しかし精巣から分泌される男性ホルモンの量が少なかったり、脳の神経細胞の反応性が低かったりすると、遺伝子的には男性型あっても、脳のレベルでは『自分は男性型である』という認識が弱くなることが考えられます」と解説するとともに、「科学的にも性的違和は病気などではなく、起こりえる多様な性の一つの個性であることを知っておく必要があります」と強調した。
今では世界中で数多くの研究者が競ってキスペプチンの研究に取り組んでいる。「次は、得られた知見を病気の治療に役立てることが課題です」。小澤教授は、モデル動物を使った実験で、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)という卵巣機能が悪くなる病気では、脳内のキスペプチンの発現機能が低下することを見出している。そのメカニズムが分かれば、治療薬の開発につなげることも可能になり、将来の生殖に関わる新しい薬の創製にも期待がかかる。
教員著作紹介
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『ファンタジーな生物学 暗記にとらわれず楽しく学ぼう』恒星社厚生閣(監修)
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『栄養解剖生理学 人体の構造と機能及び疾病の成り立ち』講談社(共編)
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『医療概論』講談社(共編)
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『求愛・性行動と脳の性分化 愛』裳華房(共編)
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『Big picture解剖学』丸善出版(監訳)
表彰
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「PEPTIDES」2021年度最優秀シニア研究者賞(Olson賞)
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2023年度日本神経内分泌学会学会賞
メディア等掲載内容
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NHK あさイチ (2013) J-CAST テレビウォッチ
https://www.j-cast.com/tv/2013/04/02172248.html
小澤 一史/ 佛教大学 保健医療技術学部教授
OZAWA Hitoshi
[職歴]
- 1988年5月~1995年5月 群馬大学・内分泌研究所・助手
- 1992年8月~1994年7月 フランス国立科学研究所 (CNRS)・神経内分泌学部門・客員研究員
- 1995年6月~2005年3月 京都府立医科大学・解剖学講師、助教授
- 2005年4月~2022年3月 日本医科大学・解剖学・神経生物学・大学院教授
- 2022年4月~ 佛教大学・教授、日本医科大学・名誉教授、東京慈恵会医科大学・客員教授、群馬大学大学院医学系研究科・客員教授、京都府立医科大学・客員教授