#ことば#文学

シラミ、ミミズ、斬新な主題で
詩の可能性を広げた梅堯臣の詩作をたどる。

大井 さき佛教大学 文学部講師

Introduction

宋時代の詩人・梅堯臣は、シラミやミミズ、ウジ虫など、それまで詩に詠まれたことのなかった事物を盛んに詩に取り入れた。大井さき講師は、梅堯臣の詩作を詳細に分析し、その詩の本質や詩人の人物像にまで迫ろうとしている。

01

詠まれたことのない題材を
詩に取り込んだ梅堯臣

中国・北宋時代の詩人・梅堯臣(1002-1060)は、新しい時代の文学を切り拓いた人物の一人として知られている。とりわけ特徴的なのが、それまでほとんど詠まれたことのなかった事物を盛んに詩に取り入れたことだ。

「シラミやミミズ、トイレのウジ虫をつつくカラスなど、ユニークな題材を数多くうたっています。最初はその奇抜さに興味を持ちましたが、詩を読み込むうちに、あまり目を向けられない側面に目をつけ、言葉を駆使してそのおもしろさを引き出そうとする、そうした対象の取り上げ方や描き方に魅力を感じるようになりました」と、大井さき講師は、梅堯臣の詩作研究との出会いを語る。大井講師は、梅堯臣の作風やその創作態度の変化を追い、その詩の本質に迫るとともに、詩人像や人となりまで捉えようとしている。注目するのが、慶暦年間の後半にあたる「慶暦後期」だ。「この時期、梅堯臣は、妻の死(慶暦4年)を一つのきっかけとして、日常生活の事物を詩に詠むようになり、また詩には似つかわしくない事柄を取り上げるなど、既存の詩の枠から外れていこうとする傾向が見られます。こうした時期に焦点を当て、梅堯臣の物の見方や捉え方、表し方の変遷をたどろうとしています」

02

超絶技巧を駆使して
「シラミ」をテーマにした詩の可能性を探る

慶暦後期の梅堯臣の詩作に顕著に見られるのが、「新しい主題」への挑戦だ。中でも「虱(シラミ)」は、梅堯臣が初めて詩に持ち込んだ題材だという。大井講師は、シラミを題材にした梅堯臣の3首の詩を取り上げ、梅堯臣がそれまでうたわれたことのない対象をどのように詩に取り込み、詩の領域を拡張しようとしたのか、その試行錯誤の跡を分析した。

「1首目では、対句といった伝統的な詩の技法に沿って言葉を組み合わせることで、詩になじまない主題でも詩として成り立つよう配慮しているようです。反対に第3首では、既存の内容や表現を避け、独自の魅力を生み出そうと苦心する跡が見られます。とりわけおもしろいのが、2首目です」と言う。

第2首は、幼い長男・秀叔の頭に湧いたシラミをうたった詩で、母親を亡くし、身の回りの世話をしてくれる人がいなくなった我が子を不憫に思う気持ちや妻の死を悲しむ気持ちが表現されている。この詩では、第1首の手法をさらにつきつめ、押韻、典故、対句などの詩の表現技法にシラミという題材を最大限活かそうとする姿が見られるという。

まず韻を踏む字として「虱」を選び、この字の字音「シツ」を利用して、「櫛(セツ)」「虱」「出(シュツ)」「吉(キツ)」「栗(リツ)」「質(シツ)」と韻を踏んでいく。また「虱」の字形にも注目。第3・4句では、シラミを「蟣虱」の2字で表し、「湯沐」の語と並べることで、虫と虫、「さんずい」と「さんずい」というように、視覚に訴える対を作っている。さらには典故も活用する。詩の中にシラミに関する歴代の記述をふんだんに盛り込み、しかも語の抽出や配置にも工夫を凝らしている。「このように伝統的な技法を生かしながら、『これでもか』と言わんばかりに表現を精巧に突き詰めていくことで、シラミという新しい題材の可能性を探っているように考えられます」と分析する。

秀叔頭虱

吾児久失恃 我が子は母を失って久しく

髪括仍少櫛 髪は束ねたまま
ほとんどとかしてもらえない

曽誰具湯沐 沐浴の支度をしてやる人もなかったから

正爾多蟣虱 これほどシラミだらけに
なってしまったのだ

変黒居其元 シラミが色を黒に変えて
頭に棲んでいるのは

懐絮宅非吉 白い綿に包まれるのが
住処として安泰ではないから

蒸如蟻乱縁 わき上がるさまは
アリが入り乱れてよじ登るよう

聚若蚕初出 群がるさまは
カイコが孵化したばかりのよう

鬢搔劇蓬葆 鬢を掻くと蓬や葆(はねかざり)
のようにボサボサに乱れて

何暇嗜梨栗 梨や栗を欲しがる
余裕などどこにあるだろうか

剪除誠未難 髪を切ってシラミを除くのは
難しいことではないが

所悪累形質 嫌なのは親からもらった体を
損なわなければならないこと

03


聯句・唱和から浮かび上がる
「人間・梅堯臣」

また大井講師は、梅堯臣の詩作活動から彼の対人関係や人となりにも深い洞察を行っている。着目したのが、他者と共作する「聯(れん)句」だ。梅堯臣の詩集には、全部で7首の聯句が収められている。中でも「冬夕曾飲聯句」は、梅堯臣と、彼の妻の兄の息子である謝景初(1020-1084)との聯句で、慶暦4(1044)年、梅堯臣43歳、謝景初25歳の冬に作られた。この聯句は、歴代の聯句作品の中でも珍しい形式をとっており、一人目が3句うたって、以降は2句ずつ交替で詠んでいき、第23句以降は6句、8句、9句で交替する。

「この聯句は奇数句で交替します。偶数句で交替するなら、対となる2句を一人が作り、次の対句を別の一人が作る形になりますが、奇数句交替の場合、対句を二人で半分ずつ作らなければなりません。そこに、二人の駆け引きが生じます」と大井講師。

例えば第9句で、謝景初は「灯青屢結花(灯火が青くなって何度も花を咲かせる)」という句を作り、「花」を使った比喩表現で灯火をうたう。すると、続く第10句を作る梅堯臣は、句末(5文字目)で韻を踏みながら、「花」に対応するような比喩表現を作らなければならない。そこで選んだのが「虫」の字だ。韻を考慮しながら、灯火が燃える音と、虫の急き立てるように鳴く声との共通性に目をつけ、「煎響時鳴虫(灯心がじりじりと焼ける音がまるで虫の音のようだ)」という比喩を生み出すことで、甥からの要求に応えたのだ。続く第11句で梅堯臣は、「虫」からさらに同じく下方の穴の中に棲む「鼠」を連想。コソコソと動き回るさまを「出没」という畳韻語を用いて描いている。「こうして押韻とオノマトペとを同時に考慮して対を作るという難しい技を謝景初に要求したわけです。ここからは梅堯臣が若い謝景初に無理難題をふっかけて、甥がそれにどう応えるのかと、楽しんでいる様子が見て取れます」と、詩作の背景にある梅堯臣と謝景初の関係性や梅堯臣の人柄にまで思いを馳せる。

さらに最近の研究では、梅堯臣と周辺文人との唱和(一人が作った詩に対して他者が詩を作る)を取り上げ、梅堯臣の詩作環境を考察している。

梅堯臣は、母の喪に服するため、約2年間、故郷の宣城に滞在し、そこで現地の地方官であった呉正仲と多くの唱和を交わしている。「呉正仲との唱和の中で、梅堯臣は他の詩には見られない表現を数多く用いています」と大井講師。典故を使いながら、意図が伝わるかどうかの瀬戸際を狙って、謎かけのような戯れの表現をしたり、辛辣なジョークとも受けとれる表現を用いているところも確認できる。「梅堯臣は、彼の型破りな創作を共に愉しむことができる呉正仲という相手を得て、いくつもの斬新かつ精巧な表現を創り出しました。これらの詩作からは、時に相手に難問を出題して楽しむ梅堯臣の遊び心や悪戯心も透けて見えます。こうした『人間・梅堯臣』が見えてくるのもおもしろいところです」と研究の魅力を語る。

梅堯臣の詩は約2900首も残されているが、その大部分は詳しく分析されていない。「約2900首全部を読み通すには、まだまだかかりそうです」と、楽し気な大井講師。今後、さらに深く梅堯臣の詩作を読み解いていく。

2026年6月更新

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  • 中国詩人選集二集『梅堯臣』筧 文生/岩波書店

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大井 さき/ 佛教大学 文学部講師

OI Saki

[職歴]

  • 2022年4月~現在に至る 佛教大学・文学部・講師
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